エンジョイオタクライフ
エントリー読み返したら激重オタクでちょっと笑ってしまった。推しと言語が違ってよかったと思いました。
ここまで書いて何書こうかと考えていたのですが、じゃあ言語の話をします。
今の推しは国が違って、わたしが語学を大して習得できていないうえ知識もないから言っていることはもちろんその些細なニュアンスや雰囲気、文化に基づいた風潮みたいなのが全くわからないんです。
要するに表面上の意味しか汲み取れない。
でもその「分からない」のうちに知らない方がいいことって結構たくさん含まれてるのかなと思ってるんですよね。
結局わたしは韓国語を履修していますし(あんまり出てないけど)、文章をほぼ辞書だよりで訳しながら単語や文法を覚えようと試みたこともあります。
だから前述みたいな気持ちが分からないとかではなくて、オタクとしての意思は完全にそちらにあります。
前にも書きましたが、知らないことは必ずしも罪にはなりません。
それが別言語の学習を必要とするものなら尚更他人に強制されるものではないと思います。
別にK-POPのオタクでも韓国語がアニョハセヨとサランヘヨしか分からなくたっていいんですよ。それだけで推しに気持ちを伝えられますし、向こうからの愛の形をしたなにかも受け取れます。叩き売りのようなサランヘヨもオタクにとっては宝物です。
話がどんどん脱線していっていますが、わたしは語学ができるようになりたいなあと思いつつも語学やそれに伴った文化を学ぶことで今まで見えていなかったグレーな部分が見えるようになってしまうのを恐れています。
語学に限らず知識って眼鏡みたいなものだと思うんです。知識を身につければ身につけるほど見えるものは増えていくと思いますし、ぼやけていたものも鮮明に見えるようになると思います。
でも見えるもの全てが綺麗なものであることは絶対ないと思うんですね。
じゃあ綺麗なものだけを見るのが正しいのか?というとそうではないし、むしろ綺麗でない部分を学ぶことこそ学習であり知識を得ることだとも思います。
でもわたし、オタクなんですよ。
何より先に推しが好きなオタクなんです。
好きなものの嫌なところを積極的に見たいですか?
人生を誓い合う人のことならまだしも、勝手に愛とお金を注いでる人間の悪いところも含めても愛したいから、知りたいからって掘り返したいと思いますか?
わたしはそうは思わないです。見なくていいなら見たくないです。
可愛い推し見て可愛い!ってなって、それで終わりでいいです。
趣味はあくまで趣味ですし、そういった人生のオプション要素で悲しいことをわざわざ考えたくないからです。
あくまで趣味は人生をより鮮やかに彩るものであって、自分が余計辛い思いをするためにあるわけじゃないと思うんですよ。
取捨選択可能な辛さをわざわざ受け入れる気はわたしにはないですし、推しのことを思って傷ついてるみたいな感傷に浸る気もないです。
特に趣味では、常識の範囲内でならいくらでも自分本位でいていいと思います。
自分のためにあるのが趣味だからです。
だからわたしはある意味お花畑オタクでいたいというだけで、推しのことをなんでも知りたくて情報を掘り、ダメージを受けつつ好きでいるのも、何も知らずに表の顔だけを好きでいるのも個人の自由ですし、他の人間が干渉すべきことではありません。
他人に迷惑をかけなければどういうスタンスでもそれは尊重されるべきです。
リアコも茶の間もゆるふわも、その見えない許容性の上に存在しているんだと思います。
オタクの生物多様性ですね。
前述の三者は特にオタクの中でもそういうスタンスというだけで叩かれがちですが、実際に現場で大人しくしているのに叩かれるのはよく分からないなと思います。
まあ大体は何かしらやらかしてるんですけど、叩くことそのものに喜びを感じるというか、カースト的に一つ上にいると思ってしまう人も多くいますよね。
いわゆる愚痴アカの文化が広まったあたりからそんな雰囲気が強くなったなとは思います。
恐ろしいですね。現代のネット文化を色濃く反映していると思います。
何かをやらかしたら叩かれて然るべきだとかそういう事ではありませんが、気に入らないから罵声を浴びせかけるとかマイナスイメージになるようなことを吹聴するとかはもってのほかだと思うんですよね。
そもそも他人を吊し上げて匿名で批判を投稿することで地位が上がったと勘違いしているならそれは早めに正した方がいい価値観だと思います。
批判している人間は必ず自分はそうではないと言うと思いますが、そういった人間は結構多くいます。
愚痴アカに限った話をすると、そういったブームが来てアカウントが乱立し始めてからそういう人間が増えたふうに思います。
ましてや愚痴垢を持っていることがステータス、流している情報を知っていることがステータスというように思っている人も多くなったのではないでしょうか?
怖っ。普通にその神経が怖い。
(愚痴アカや情報アカが好きではないので気を抜くとディスってしまう)
愚痴アカどうこうに限らずネットが普及した今、匿名で発言をすることが非常に容易になり直接は言えないであろう内容を赤の他人に投げかけられるようになりましたが、そういった場所だからこそ他人を許容することを求められていると思います。
もちろんそれは常識の範囲内で行うべきことで、全てを許容していたら混沌が生まれてしまいますが。
他人に一方的に求めるだけでは物事は成立しません。それは物品や感情もそうですし、許容もその一部だと思います。全てはギブアンドテイクなんですよね。
それっぽく書きましたがよく考えたら当たり前のことです。頭が悪いので真面目っぽいことを書けると調子に乗ってしまいます。
どちらにせよ広い心は大事ですね。推しもオタクも許しあって生きていきましょう。
考えがあちらこちらに飛ぶことで有名なので言語の話からオタクのあり方の話にシフトチェンジしてしまいましたが、要するにオタクライフ楽しく行こうぜということです。以上。閉廷。
普通に気持ち悪いですね。
顔面も喋り方も気持ち悪いのにオタクとしてのあり方も気持ち悪い。
悲しくなってきたから2017年下半期はまともな人間になることを目標にしよう。
今度こそ終わりです。
なおこのブログの記述はすべて個人の見解によるものです。イラッと来たらごめん。
現場を消化試合だと思いたくない
最近思ったけど現場って好きだから行く、それ以外の余計な感情はなくていいんですよね。
見栄張るためでもなければ義務感でもないし、追ってる自分に酔ってもいけない。
簡単なことなはずなのにどんどん難しくなっていってるような気がします。ダメオタク!
見られるために行ってはいけないって本当に真理なんだけど難しい。1度知ってしまったら戻れない オタクのみんなは少数現場に気をつけようね!楽しいけどね!
ジャニーズ以来少数現場ばっかり回してきて接触もたくさん踏んできたからもう大現場には戻れないと思ってたけど個人的には趣味が一周したのかな、とも思いますね。
普段はスクリーン越しに見ていて、数ヶ月に1回数時間だけ生で見て、接触なんてほぼなくて(積む金があればいくらでもあるけど)、虚空を眺めてるだけのアイドルと目が合った気がして、実際の本人の人間性なんて実は全くわからないくらいの距離が一番いいかもしれないなって。
見なくていいものが見えない距離(それは見るべきものも見えない距離ではあるけど)って案外居心地がいい。オタクはある程度花畑の方が圧倒的に楽しく過ごせるよなあと最近思います。
なんでも知ろうとすること、知ってしまうことって結局自分にとって必ず何かしらの害が生まれるんですよね。前現場のお陰で知った。別に知りたくて知ったことじゃなかったけど。
実際なんにも知らなくてもオタクって楽しいんですよ。推しがかっこいいとか可愛いとか面白いとか、そういうちょっとした理由で好き!ってなる感情さえあればいい。
それだけで動けるし、最高にハッピーになれるし、やっぱりどんなオタク活動もストレスフリーに楽しくやる娯楽だとわたしは思ってます。
楽しいはずの現場でイラついたり悲しくなったりしたくなくないですか?
リアコは特にすごくつらそうですよね。
わたしの偏見かもだけどいつも周りの同担を気にして殺気飛ばしてチケットの枚数とかプレの金額気にして、本人の何気ない一言とか自分の勘違いで死ぬほど傷ついて病んで泣いてるの、はたから見たらつらいんじゃないの?って思うんですけどリアコの方、どうなんですか?
どれだけ塩でもたった1回の良対応で今までのことはすべて許せてしまうんですか?
うわ〜気になる。
リアコちゃんインタビューみたいなのしてほしい。なんならやりたい。気になる。
別にリアコちゃんと差別化したいとかそういう訳では無いんですけど、わたしは今の趣味になってから本当に欲が薄くなったな〜と思います。金銭面ではなくレスの方面で。金銭面の方は完全に悪化してるのでスルー。
やっぱりオタクだからレスが欲しかったんですよ。1人対オタクのかたまりから1対1になる瞬間がどうしても好きだから。
だからある友達(アイドルオタクではない)が「わたしは背中でも沸く。何してても好きだから。」って言ってたのが昔は理解出来なかったんです。
でも今推しが変わって、その気持ちがいまとてもわかるようになったんですよ。不思議なことに。
今の推し、本当に何してても好きなんです。存在が好き。どんな米粒だろうが背中だろうがそこにいる限り好きなんですよ。存在がファンサービスなんですね。
ネタでたまにあるけど、これは本当に思ってます。存在がそうなんだからもうファンサは必要ないし、コンマ1秒だってわたしの方を向いてなくていいんです。
ボードも団扇もガンスルーされても目の前を通っただけで死ぬほど幸せなんです。通らなくたって視覚情報として推しの姿を獲得できるというのが既に最上の幸せなんですよ。
(まあでも実際うちわもボードも出すし、本人ファンサメチャクチャくれるんですよね。日本で人気なメンバーのはずなんですけど本人が自分のうちわとボードとりあえず全部手振っとけ!みたいな子でけっこうくまなく探してるっぽい。好きかよ)
でもこの先もしもっと売れて、もし東京ドームでライブをやることになって、もし魔の40.41ゲートに入ったとしても、同じくらい好きでいると思います。その姿を見せてくれて、歌って踊ってくれること以上の喜びってやっぱりない。そういう面でやっぱりちょっと欲が薄くなった気がするかなと思います。
20歳、何も変わらないと思ってましたが推しの背中で喜べる女になりましたね。
これは成長ではなくちょろくなったと言い換えられるのかもしれないです。
ちょろいオタクは楽しいので直す気は全くありません。
そして軽率なので今から新人声優の接触に行ったあとキンプラを見ます。人生楽しい。
推しに〇〇して欲しい
5ヶ月くらい前、オタク友達に「1つだけ頼めるなら推しに何をしてほしい?」と聞かれたんです。
その時はなんにも頼みたいことがなくて、「別に生きてるだけでいいかな〜」とか趣旨に沿ってない回答をしたんですけど、最近はそれが正しく答えで、わたしが推しに頼みたいことなのかなと思っています。
推しには生きてて欲しいんです。
それだけです。
別に本人がすごく病弱で休みがちとか、生死をさまよったことがあるとかそういうわけではないんですけど、生きて幸せになって欲しいんです。
本人が健康に過ごせることが何よりの願いなんです。健康がなければなんにもできないんですよ。顔の美しさもダンスも歌も、何の価値も持たなくなってしまうんです。
たくさん寝て、たくさんご飯食べて、たくさん笑って幸せに生きてほしい。
そういう意味で、推しには生きてほしいです。もっと言えば、死ぬほど大変だけど、生きてアイドルでいて欲しいです。
今はまだ青春の延長線上で歌って踊っていてほしいし、その過程を見せて欲しい。
さらに贅沢を言うなら推しのグループがどれだけ経っても誰も欠けずに輝いていてほしいです。もうだれも体調不良や怪我で休養したり、もっと言うなら誰かが脱退したりがないといいなと夢見ています。
アイドル文化も事務所も盛んで本当に厳しい業界だし、それがなくともどんなことにも永遠なんてないけど、推しにはどうしても永遠を願いたくなってしまうんですよね。
本人に言ってもどうしようもねえだろって思うだろうけど、わたしもそう思います。
人の意思に左右されないことを願ってはならないし、変わらないことを信じてはいけないって分かってるつもりなんですけど、やっぱり守れないんですよね。
でも別れを常に考える好きってないと思うんです。ふとした瞬間に影が怖くなることがあっても、やっぱり好きって幸せが付随するものだと思うし、人間の感情の中でも好きってなかなか止められるものではないんじゃないでしょうか?
だから期待もするし願いも抱いてしまうのかもしれないですね。
オタクって哀れな生き物だな〜!やめたい!(定期的な発作)
でも好きだから生きてほしいってわたしのただのエゴだし押し付けですよね。
押し付けられるほど近い距離にいないし、結局本人が選択することだから強制力なんてこれっぽっちもないし、本人は全く気にしないんだろうけど、オタクの存在自体が本人の意思を大いに阻んでることってたくさんあると思うんです。
オタクはアイドルを消費するだけの存在だけど向こうは供給し続ければいけないし、そのためには自分の身を少しずつ削らなきゃいけなくなってくるわけで、しかもそうやって削られた先に必ず輝かしい未来が待ってるとは限らないんですよね。0に限りなく近くなってしまう可能性がある。
以前Twitterで「オタクはアイドルを殺せるけれどアイドルを生かすことは出来ないかもしれない」という趣旨のツイートをしたんですけど、我ながらすごく心に刺さっています。このツイートをした時から。
そうやって死んでいった(業界的に)アイドルに残るものってなんなんだろう?って考えるとちょっと恐ろしくなります。
供給する側って一体何が残るんでしょうか?輝かしいステージの裏には計り知れないほどの努力と苦労と汗と涙が潜んでいるけれど、そうやって輝いていた頃の思い出は果たして本人にとって素敵な宝物になるのでしょうか?
そもそもアイドルはなぜアイドルを志したんですかね。
厳しい練習生生活を何年も続けてでもデビューの夢を捨てなかった理由はどこにあるのでしょうか?
アイドルに聞きたいことナンバーワンは長らくこれです。
誰かが応募したとかオーディションがどうとかそういう入口の話じゃなくて、なぜやめなかったのかという過程の話が聞きたいです。
推しはスカウトで事務所の練習生になったんですけど、ダンスも歌も本当に自信なさげで常に下を向いていたし、かなりの緊張しいで人の前に出ることや成果を発表することがとても苦手だったようで、練習室でカメラが回されている時、周りの練習生はアピールタイムと言わんばかりにカメラに映りたがるのに、本人はいつも練習室の隅っこに丸まってたんですね。
見てるだけでこの生活が辛いことが伝わってくるし、実際1度辞めようとしてメンバーに引き止められているんです。
推しは別にスカウトされた頃はアイドルになりたかったわけではないのかなと思います。やめようとしたのも練習生になって1年にならないくらいだったんじゃないでしょうか。
そんな推しがなぜステージの上で輝くことを選んだのか、本当に純粋に不思議でしょうがない。
今の推しは緊張しいの気にしいはそのままでも、引っ込み思案なんて形容詞は似合わないくらい性格がすごく明るくなったんですね。
多分一度引き止められて、そこでアイドルを目指すことを改めて決意して、そこから推しの性格が少しずつ変わっていったのかなと思います。ただの妄想ですけど。
そういうのをあと3年後くらいに聞かせて欲しい。身長体重より、座右の銘より、好きなタイプよりも気になるから教えて欲しいです。お金なら出すから頼むよ〜
とりあえずは今アイドルとして生きてくれることにとても感謝しています。
アイドル、その儚さと脆さを持ってしても、というかそれを含めて本当に最高な存在なので皆さんもぜひ。
しかも読み返したら超重くて気持ち悪かった
やめよう