オタクが推しを殺すということ
アイドルに限らずですが、ファンと総称される人間の集まりの中では必ず「にわか」と呼ばれる層が存在します。
にわかの程度は人によって違い、一概にこういったファンはにわか、と定義付けるのは難しいですが、簡単に言うと「一時的なファン」という意味です。
今ではそのコンテンツが流行ってから好きと言い出すこと、それ自体が「にわか」と呼ばれることが多いようです。
そして「にわか」と呼ばれる層は元来ファンであった一部の人間から非常に毛嫌いされます。
にわかを毛嫌いするタイプのオタクがだいたい口を揃えて言うのが「遠くに行ってしまった」とか「にわかは昔のことを知らない」とかそういう類の言葉です。
要するに、それまでは閉鎖的かつ狭いコンテンツであった推しにある種の独占欲のようなものを抱いているということですね。
推しとオタクが歩いてきた道にも同じような気持ちを抱いているのだと思います。
大切にしていた宝物を突然共有物にされたような気持ちなのではないでしょうか?
推しというコンテンツが余所者に土足で踏み荒らされている、くらいに感じるのかもしれませんね。
こういうことを言い出すのは比較的若めのファンに多いように思います。
非常に排他的な思考ですしコンテンツの成長を妨げる可能性もあるためあまり賛同できた意見ではないとは思いますが、そういった意見の人たちも単純に推しが好きだからそう言うんですよね。
にわかの人たちに、簡単に好きだと言って欲しくないんだと思います。
自分たちが顔だけじゃなくてパフォーマンスもバラエティーも、たくさんのものを見てきて積み上げた「好き」と同列に並ばされるのが嫌なのではないでしょうか?
そのコンテンツが好きだといえば誰だってファンになれるからこそ同じ「〇〇のファン」として括られたくないんだと思います。
確かに「好き」に含まれるものが違うのかも知れませんが、いわゆる好きの重さ、というのは誰だって0gからがスタートです。
にわか嫌いによくかけられる言葉が「誰だって最初はにわか」ですが、全くその通りだと思います。
ガチも在宅も最初はにわかです。大体「気になる」からオタクは始まるからです。
そしてその「気になる」状態のファンを「好き」に成長させるのはアイドル等々、本人のお仕事です。もちろんうまくいかないこともありますし、「気になる」は「気になる」で終わることの方がきっと多いのだと思います。
こうして、多くの「気になる」が「好き」になることでそのコンテンツはさらに成長していきます。動員もそれに伴った金銭的な面も、話題性も全てが伸びていくからです。
そういった意味で「気になる」状態のファンを沢山つけることはコンテンツにとって必要不可欠と言えるのではないでしょうか?
だからと言って「好き」状態のファンが蔑ろにされるのか?というとそうではありません。必要という言葉でまとめるとそう感じるかもしれませんが、「好き」と「気になる」は別ベクトルでどちらも必要となるのだと思います。
つまり、大袈裟な発言になりますが「好き」状態のファンが「気になる」状態のファンを拒否することはそのコンテンツを殺すことに繋がりかねないんですね。
一部の若いオタクの言うことが絶対になるわけでは全くありませんし、その効力なんて一切ないのですが、そういう言動が「〇〇の現場は怖い」という印象を与えることになります。
そうして新規がつかなくなったコンテンツは終わりです。あとは廃れていくしかありません。
坂を登るのは辛いのに転がり落ちるのは一瞬です。怖いですね。
そもそもにわかがいるから「人気上昇中」という状態になれると言っても過言ではありませんから、そのコンテンツの未来的には重要な存在になってくるのだと思います。
上記のような意見では独占欲どうこうに対して説明はできませんが、まあどういう場合であれ大体好きには独占欲がつきものですよね。誰にでもあるものなのだと思います。
単純にそういった欲の強さの差と、前面に押し出すか否かといった判断の差なのではないでしょうか。
メチャクチャにわかディスりをディスっていますね。今日は個人的思想がいつもよりさらに強いです。
しかもよく考えたらにわかディスりの方もファンなのでわたしがそうやって批判するのは同じ穴の狢みたいなものですよね。でも書きます。
話が逸れましたが「わたしだけが知っていればいい」という思想はオタクごとには役に立ちません。恋愛ごとには多少役立つのかもしれませんが、その「好き」とオタクの「好き」は殆どの場合違った種類だからです。ガチのリアコちゃんは別です。
コンテンツがもっと輝くところを見たいならお金を出し、声を上げ、動員が増えることに過剰な拒否反応を示さない必要があるのだと思います。
推しグループのコンサートのCMで「前回のコンサートでは〇万の発券数に対して〇万の応募がありました!」などと謳っているのですが、これこそ動員数を見せることでファンではない人にも「このコンテンツは人気なんだ」と思わせ、気にかけさせるようなやり方なのだと思います。
やっぱり平たく言うとコンテンツに必要なのは動員と金なんですよね。応募数にせよ売上にせよ音楽番組などでの投票にせよ、数字を出さなければいけません。
どこぞのブラック企業のような物言いになってしまいましたが、数字ってやっぱり誰が見ても明確なのでコンテンツを比べる際に非常にわかりやすい指標になるんですよね。
コンテンツがアイドル前提の話をすると、どのアイドルも死ぬ気でレッスンして、辛い思いもたくさんして、ろくに睡眠も取れないまま活動をこなしていますが、そういったいわゆる裏の努力というものは見せるものではないと言われますし、もちろん数字化もされません。
表舞台だけを見た人間によって大方の評価は決まります。裏舞台の一部を垣間見ることが出来るのは、基本的にそのオタクになった人だけだからです。
そういう意味で、努力は必ず報われるわけではないんだと思います。
頑張っても数字を得られなくて消えていったアイドルは山ほどいるからです。
しかし、全てのアイドルが横1列、手を繋いで一緒に走ろうというわけにはいきません。アイドルも商売だからです。
そうして「人気」という指数が生まれ、アイドルはその頂点を目指すわけですね。
アイドルはオタクの山の上に立つ存在ですが、その高さを増すにはもちろんよりたくさんのオタクが必要になります。ここで前述の通りにわかの存在が大事になってくるわけですね。
にわかは山の一部になるかならないか、まだ決めかねている状況にあります。
そのにわか候補は増えれば増えるほど、確率的に山に吸収されていく子が増えるのだと思います。そうしてその高さはさらに増えていくわけです。そういった意味で、そもそもの高さを保つために元々のオタクが必要となる上、にわかの存在も非常に大事になってきます。
もちろんにわかが全員にわかで終わるようなコンテンツは所謂「オワコン」として廃れていきます。
だから、オタクはにわかを許容する必要があります。
さらに言えばにわかだけではなく、オタクの数だけオタクの形があるということを理解すること自体が大事だと思います。
それが推しの輝かしい未来に、そしてオタクの未来にも繋がっていくのではないでしょうか。
(余談。ものすごくどうでもいいです)
このにわかについての話は、先日動画配信サイトにて無料で推しグループの日本でのコンサート映像が放送された時のコメントから着想したものです。
実際「にわかが増えるのが嫌」とか「にわかやめろ」とかそういうコメントが多数流れていました。
無料サービスはどうしても人間の質と年齢が下がるものなので仕方ないですが、あまりにそういう発言が多くて驚いたので今回の題材として筆を取りました。
読み返してみたら幼稚でブーメランな個人思想満載、しかもやたら長い文章だったんですがせっかく書いたので載せます。
さて、話は変わるのですが、ここからが余談で言いたかったどうでもいいことになります。
小学生〜中学生に多く、誰も聞いていないのですが自分の年齢を申告してくる人間ですね。
例:小3だけど見てます 12歳の人挙手ノ(ほぼニコ動やんけ)
そして高校生くらいの人間が「年齢厨消えろ」「お前らの年齢は聞いてない」などとコメントするまでがテンプレです。ここテンというやつですね。
その配信にももれなくいたのですが、その子たちが「05line(12歳)」とか言っているのを聞いて目ん玉飛び出るかと思いました。そんなん赤ちゃんやんけ。
ネットワークの進歩のおかげでしょうか、世の中小学生でも外国のアイドルに興味を持つんですね。死ぬほどびっくりしました。
自分はもう若くないとはいえまだババアとか言っていい歳でもないと思っていますが、さすがに12歳とか言われたらビビります。
推しの顔ばっか見てないでもっと周りに視野を広げるべきなのかもしれませんね。
それだけです。
せっかく本編をいい感じにまとめようとしたのですが余談が冗長になりました。
そういう人生です。ドンマイ。