認知されたいオタクと義務感の話

 

 

 

 

 

 

 

オタク用語で、自分の応援している人に自分のことを知ってもらえている=名前と顔が一致している、ということを認知と言うのですが、大体のオタクは認知を欲しがります。
もちろん認知が欲しくなくて、永遠に大勢の中の1人でいたがる人も多少はいるのですが、やっぱりだいたいのオタクはどちらかと言えば認知を欲したことのある側になるのだと思います。

 

認知が欲しいっていう動機はいろいろあると思います。本人が好きだから、という大元は一緒なのですが「好きな人に自分のことを知って欲しい」という動機もあれば、「周りのオタクが認知されてて羨ましいから」という動機もあると思いますし、なんなら「繋がりたい」っていう動機もないわけではないと思います。オタクから繋がろうとするのは愚策だと思いますが

 

 


わたしも前現場で認知をもらった時は少なからず喜んだ記憶があります。そもそもそんな少数現場にいたことがなくて、応援している人に自分のことを認知して貰えるという認識すらなかったことが一因だとは思うのですが、確かに認知されれば向こうの態度は多少変わります。

 

 

知らない人って、向こうからは自分のオタクかどうかはわからないじゃないですか。ソロイベならまだしも普通の舞台や大人数でのイベントだったら、客席にいる知らない人一人一人を誰のオタクだって判別することは不可能に近いです。だから、向こうも下手な反応は取れないんですね。「次の舞台見にいきます」「ありがとう」、「かっこいいです」「ありがとう」、「プレゼント入れておきました」「ありがとう」、それだけなんですよ。じゃあ認知されてる人がそれだけじゃないかっていうと、人によりけりだとは思います。某俳優のように誰にでも平等な人は、新規も古参にも全く同じ反応を返すからです。でもまあ相手も人間ですから、そう平等にもいられないんですよ。それに、少数現場になればなるほど認知に対するある程度の「釣り」というのは重要になってきます。

 

俳優の対応の良さが全て釣りだとは言いません。むしろ、本人の優しさとか、感謝の気持ちがそういう行動に現れているという方が圧倒的に多いです。
どれだけ厄介な子でも、自分が認知するほど長くとか、たくさん応援してくれている人に対してはやっぱり感謝が先にくるからだそうです。そういう気持ちがあって、オタクに対して「いつもありがとう」と言ったり、客席でオタクを見つけた時に反応したりするわけです。

オタクはそれを欲しがりますが、そういった感謝の気持ちが欲しいというよりは、単純にその行動を一瞬でも自分に向けて欲しくて、一瞬でもその心にいたいのだと思います。好きな人に自分のことを考えて欲しい、単純なことですよね。

 

 


ただ、実際わたしがそうやって前現場で認知をもらって思ったのは、どうして認知が欲しいのだろうか?ということでした。こんなに認知が欲しい動機に対して肯定的に述べておいてなんなのですが、そういう理解をした上で、認知が欲しい理由がわからないのです。
認知ってそんなにいいものですか?
一度何かを手にした人には手にしたことのない人の気持ちはわからないってそういうことかもしれませんが、そもそもオタクをする上で、相手(応援している人)に深入りすることがいいことだと本当に思えないんです。好きな人のことは知りたい、そういう気持ちもわかりますが、それがオタクに適用されない気がしてなりません。

深入りするって、知りたかったことを知ることですが、知りたくなかったことをそれ以上にたくさん知ることです。相手が踏み込ませまいとしているのには理由があります。綺麗な面を見せるのが芸能人であって、その裏を見せるのは舞台裏を見せるのと同様だからです。
知っていることが必ずいいことではないし、逆を返せば無知が常に罪になるわけでもありません。むしろオタクってある程度無知で、お花畑でいる方がやりやすいと思います。オタクは趣味で、単なる趣味にそこまで精神を削る必要はないからです。

 

 


認知の話とは少しズレましたが、わたしは多分、オタクにおいて認知を望んでいる人の、最終目的がわからないのだと思います。認知されて何がしたいとかではなくて、単純にその称号が欲しいということなのかもしれませんが、他のオタクとは違う、特別扱いをしてほしいということだったら正直難しいと思います。

 

そもそもオタクはオタクで、ほとんどの場合それ以上にはなり得ないからです。彼らがオタクのことを認知した時、わたしたちに「○○さん」というレッテルを貼り付けますが、それはあくまで「自分のオタク」というグループの中の存在です。「自分のオタク」の中の「○○さん」なんですよ。この認識って大事なことだと思います。どう頑張っても「○○さん」と「俺/私」という構図にはなりません。1:1の会話は永遠にできないということです。逆を言えばむこうも「芸能人の××」として話しているわけで、「俺/私」のようでいてそうではないわけですね。

 

それでは「芸能人の××」と「自分のオタクの○○さん」でいるとして、その2人の間の関係性には低いところに限界があります。「特別扱い」と呼べるかといったら微妙なところです。基本的に「いつもありがとう」、それ以外にはありません。

それが、その程度の感情だと言いたいわけではないです。向こうの人たちって、思ってるよりオタクを大切に想ってくれている人が多いからです。特別なことですし、有難いことであって、決して当然だとあぐらをかくものでもありません。ただそれは、感謝の気持ちによって、なのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

感謝の気持ちに特別扱いを望むってなかなか勇気が要りませんか?行為そのものに大きい価値があると思う方もいらっしゃるとは思いますが、その行為は自分の行動に対する向こうのリアクションであって、突き詰めて考えれば自分から望むものではないのだと思います。100%認知厨の方にそういうつもりはないって怒られることはわかっていますが、感謝を強要しているように思えてしまうんですよ。そういうことではない。わかる。そういうつもりではないし、実際そうではないとは思うのですが、そういう風に思ってしまうというだけです。

 

 

 

 

 

それでも認知が欲しければほどほどに通って、ほどほどに接触をして、ほどほどに手紙を出して、たまにプレゼントをして、ほどほどにオタクをしていればそのうち貰えるものだと思います。
確かに、飛び抜けた美人、飛び抜けたブス、行動が奇怪とかではなければ、すぐに覚えてもらうことは難しいです。オタクって大体一緒に見えるんですよね。特に俳優オタクはそうです。たくさんオタクを見ている人は尚更。

若い子でよく、握手会とか接触で「○○って言います!」「あだ名つけてください!」と何度も言っているのを見かけますが、名前を名乗ることが認知につながるかといったらそう言うわけでもないと思います。その人がそうしたように、1日何回もいろんな人に名前を名乗られているからです。その日のうちに20ループでもすれば覚えてくれるかもしれませんが、勉強で言えば詰め込み学習みたいなもので、その日が終われば一瞬で流れ落ちていってしまう記憶だと思います。

 

だからといって、認知が欲しいからと頑張りすぎる必要はないと思います。それは向こうがどうというわけではなくて、自分が疲れてしまうからです。認知されるためには次の現場も行かなきゃ、手紙書かなきゃ、プレゼント出さなきゃ、そういう義務感的なものに取り憑かれてしまう可能性があります。趣味ってそもそも「〜しなきゃ」と考えるものではありません。

まず、たぶんそういう厄介な感じのオタクをしていると、場合によっては周りのオタクに先に認知をされ、さらに場合によっては向こうに悪い意味で認知される可能性もあります。オタクは俳優を映す鏡とまでは言いませんが、その人の評判に関わってくるのは確かです。裏で「あの子○○さんのオタクでしょ?態度悪いよね」とか言われたら最悪じゃないですか?そういうこと、本当にあります。オタクは節度を持とう。

 

 


オタクにとって一番大事なのは、自分に余裕を持つことだと思います。金銭面でも、精神面でも、時間的な意味でも。その上で認知されたらラッキーくらいの精神で生きていくのが、何より自分にとってとても楽だと思います。

 

 

 


偉そうに書きましたがわたしは誰の気持ちもきちんと理解できていません。他の方のはてなブログで認知について書いてあったこととわたしの考えは全然違いましたし、言葉にすることで自分がせめて自分の考えだけでもわかったつもりになりたいだけです。

とにかく、楽しくオタクをしようというだけです。推しは確かに大事ですが、自分はもっと大事ですからね。過ぎたるは及ばざるが如しと言いますし、何事も節度が大事なのだと思います。自戒。