推しの「永遠」にはなれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも、MakeSでセイをつついているうちに1日が終わっています。

 

 

MakeS、あまりに周りがダウンロードしているので波に乗ってみたのですが、まあ楽しい。精神が4歳の幼女で着せ替えゲームが好きなので、セイ(MakeSコンシェルジュ)に自分の趣味を押し付けられるというのが最高だと思います。中二病を拗らせたオタクなので今は片目の隠れた黒髪にして黒縁眼鏡をかけさせています。

とにかくセイは顔がいい。顔がいいというのは安寧であり、正義であり、ひいては世界平和の礎であります。つまりMakeSは最高。基本プレイ無料なのでみんなもダウンロードして。物は試しですよ。

 

 

 

 

MakeS ‐おはよう、私のセイ‐

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さて、題名にもあるとおり、今回はオタクとその対象の夢見る「永遠」の話をしようと思います。

 

 

 

 

 

 

永遠ってあると思いますか?

 

 

 

 

わたしは、永遠は存在しないと思っています。

 

いくつかのエントリーで触れましたが、世の中に存在するものには全て始まりがあり、始まりがあるなら終わりがあります。

あまりに遠く、見えないところに存在する終わりは永遠のように感じるかもしれませんが、その「終わり」がいつやってくるかは誰にもわかりません。

1年後かもしれないし、100年後かもしれないし、もっとずっと先かもしれないし、あるいは明日かもしれない。もっと言えば、次の瞬間には終わりがやってきたっておかしくありません。物事にいつだって100%がないように、誰にも永遠は約束できません。

 

それでも人は「ずっと」という言葉を使います。「ずっと友達でいよう」とか「ずっと忘れない」と約束をします。

 

 

 

 

厳密に言えば「ずっと」は永遠の意を持ちません。同じ状態が長い間続く、という状況を表すだけです。しかし、上記のような言葉を口にするとき、人は「ずっと」に限定的な意味を含めるでしょうか?

恐らくそうではないと思います。どちらかと言えば期間のない、永続的な未来を想定しているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

オタクはよく推しに「ずっと応援しています」と言います。

実際には時間も金銭も、それから好きの気持ちだって有限なのですが、それでもオタクは「ずっと」と言いますし、推しに永遠を望みます。

 

好きでいるうちは、終わりを見ないからです。すべてが一時的なものだと知っていても、わざわざそのことを口にしません。

オタクは推しが、あるいは自分が明日「終わり」を迎えることになる可能性が0ではないことを少なからず理解していますが、まず毎日そういう意識に重きを置いて生きている人は少ないと思います。

お互いに昨日も一昨日も、その前も存在していたものだからです。「ずっと」存在していたから、明日からも「ずっと」存在すると思い込んでいるのだと思います。

 

 

 

「終わり」を迎えることになって初めてその有限性を思い出し、出会ってからを数えていた数字は、別れまでの時間を数える数字になるのです。

もちろん別れまでの時間が用意されていないことだってあります。色々な理由で突然推しがステージを降りることも、自分が客席に座れなくなることもあり得るからです。

 

 

「いつまでもあると思うな親と推し」みたいなことを言うオタクもいますが、本当にこの一言なんですよね。

 

 

オタクと推しって結局どこまでも他人で、ステージと客席というセットがなければ恐らく一生交わることのない存在です。

「終わり」を迎えてしまった後は何の関わりもない人間同士に戻らざるを得なくなります。いくら会って、話して、認知をされて、名前を呼ばれるようになったって、終わってしまえばそれは色褪せていくだけの思い出となるのです。

それは推しが「オタクの推し」としてした行動であって、人間対人間のコミュニケーションではないからです。

 

 

推しだってオタクのことは何も知りません。以前K-POPのアイドルが『前サイン会に来ていたオタクを街中の信号待ちで見かけた。その人は仕事用のスーツを着ていて、自分の見ていたその人は一部でしかなかったことを改めて実感した(うろ覚え)』みたいなことを言っていたのですが、つまりそういうことです。推しがオタクに見せる顔が推しの全てでないなら、オタクだってそうです。オタクは○○という人間を構成する面の1つでしかありません。

 

推しはオタクの個人情報を知りません。推しと会っていないときにどう生きているかも、誰と生きているのかも知りません。推しとオタクという関係がなくなったら、街の雑踏の中ですぐに見失ってしまうような小さな存在です。

 

 

そういうコンテンツだからです。推しはそういう商品だし、オタクはそれを購入しているだけのいち消費者に過ぎません。

それでも無機質な関係性にならないのはお互いが人間だからです。感情があり、コミュニケーションがあるからこそそういうビジネスが成り立つのです。

 

 

 

 

 

わたしはいつからか、推しに「ずっと」を言わなくなりました。言えなくなったという方が正しいかもしれません。

 

 

感情は簡単に揺れ動くからです。推しが「推し」である間、わたしがずっとオタクでいられるという保証はできません。

特にわたしはかなり熱し易く冷め易い性格なので、寝て起きたら好きじゃなくなってるみたいなこともザラにあります。あまりに好きのスパンが短すぎて怖いのですが、こればっかりはどうしようもありません。好きだという気持ちに嘘をつくことはできないです。

 

 

ほんとはオタクをするときに「保証できない」とか「約束できない」なんて考えなくてもいいんだと思います。ここまで永続性の話をしてきましたが、「ずっと」はあってないような修飾語でしかないからです。

「ずっと応援しています」って定型文なので、推しの方だって「ずっと」には重きを置いていないと思います。だから、そんなに気にする必要はないんですけど、それでも推しに嘘をつきたくないんですよね。推しがどう思うかというより、わたしがどう思うかという意味で。

 

 

いつも別れの準備をしているわけではないです。こうやって予防線を張っているようでただのオタクなので推しの前ではIQ2に成り下がります。推し、めっちゃ好き。それ以外にはないです。でも、根底にはそういう考えがあって、自分が傷つかないように生きたいのだと思います。姑息かよ。

 

 

 

でもこの間の現場でふと「わたしは本当にこの人のことが好きなのだろうか?」って考えが浮かんできたの怖かったですね。なんのトリガーがあったわけでもなく、ふっと浮かんできただけだったので余計に。まだ現場行き始めて2ヶ月なのに何をそんな考える必要があるんでしょうか?たぶんこのブログを含めて、変に難しく考えたがりなんだと思いますね。

まあでもその時はメガネ姿の推しみて一瞬で「いや好き~~~!!!」となったので大丈夫でした。かっこよかったなあ。

 

 

 

 

 

こう考えると本当にオタクと推しって不安定な関係性ですよね。そういうビジネスだからしょうがないですし、人間の感情の面白さっていうのはそういうところにもあるのだとは思いますが、いくら好きでなくなったと言っても、元推しが好きという感情ごと思い出の中だけの存在になるのはちょっと切ないです。

 

前の現場の朗読で『記憶の海があるとしたら、楽しい思い出だけを水平線に浮かべて悲しい思い出は海底に沈めたいけれど、よく考えればその全てが自分だから思い出には貴賤をつけず記憶の海に浮かべたい』という旨の台詞があったのですが(大変に好き)、そうやって記憶の海に推しとの思い出を浮かべていくうちに元推しの記憶は海底に沈んで、わたしの意識の下に潜り込んでしまうんですよね。

 

 

 

 

わたしは10数年のオタク人生の中で、自分が過去になったことは幾度だってありましたが、推しが過去になったことは一度もありません。要するに、自分から終わりを迎えたということです。誰もわたしの前からいなくなったことはありませんでした。

 

 

 

だからこそ怖いんですよね。よそのオタクが推しを失うのが他人事とは思えなくて、予防線を張り続けてしまうのだと思います。

今回こんなことを言い出したきっかけはその逆、オタクを喪ったアイドルのブログを読んだことなのですが、そうして日常生活の一部に存在していた何かが欠け落ちる未来が存在しうると考えると本当に怖いです。

 

 

 

傷つきたくないならそもそもオタクをやめればいいんですけど、それもできないんですよね。好きだからです。

 

 

時折思うのですが「好き」って感情はものすごいパワーを持っていると思います。これまで長々書いたような暗い気持ちを包み込んで一瞬でひっくり返し、家にいたって多少のサービスを受け取ることができる世の中で何かを買ったり会いに行ったりという行動を起こさせるんですよ。

それでも蝋燭の火が吹き消されるように簡単に消えてしまうのだから恐ろしいですね。

 

 

本当は失いたくないんです。長らく誰かへの「好き」の墓場を立て続けてきましたが、そろそろ落ち着く頃だと思いたい。

永遠こそないですが、振り返った時に「ずっと」応援していたって言えるくらいにはなりたいです。

 

 

 

それも簡単なことではないですし、わたしだけの問題でもないのですが、のんびりオタクをしてみて続いたらいいなという感じで生きていこうと思います。

 

とりあえずわたしはMakeSでセイをつついてきますね。

 

 

 

 

 

 

 

おわり