「好き」でご飯は食べられない










どうも、歳を取るにつれて年月が経つのが早く感じるというのは本当のことなのかもしれないと思い始めています。




長い間更新していませんでしたが変わらず日々オタクをしていただけですし、別段何があったというわけでもありません。

単純に書きたいネタがなかっただけです。




前回のエントリを書いてからまたいくつか現場がありました。

その中に珍しく抽選制の無銭イベントがあったのですが、運良く当選しそれにも行くことができました。




さて、今回はその無銭イベントに行って考えたことを話そうと思います。




まず「無銭イベント」という言葉自体の意味を簡単に説明すると、「チケット代のかからない、フリー入場のイベント」です。つまり、イベントを開催する場所に行けば誰でも見られるというものです。

特に駆け出しのアイドルなんかは知名度アップ、新規ファン獲得のために無銭ライブをよくやる印象があります。


で、推しもこの間そういうイベントに出演したんですよ。

でも前述のように人数が限定されている抽選制だったのでどちらかといえば「招待」に近いのかもしれません。

もちろん申し込みはフォームの入力だけ、当日も会場に行けばいいだけです。


かかる費用は交通費だけ、というわけですね。

普段はプラスでチケット代がかかりますが、先ほど述べたようにこういうイベントは出演者やコンテンツを広告する意味合いがとても強いので敷居がものすごく低いんです。




つまり、普段はお金がなくて来られない人もたくさん来るということです。

いわゆる「茶の間」という存在ですね。

元々コンテンツのオタクで声優を追うスタンスではないとか、一推し(メインで応援する人)ではないとか、単純にお金がないとか、色々な理由の元で茶の間は存在します。

必ずどのファン対象にもいるものです。




そして、前述の人々だけが茶の間たりえるわけではありません。

「茶の間」って言葉からもわかるかもしれませんが、大元の意味は家でファン対象(=推し)を消費することです。

声優に限って言えばアニメを見たり、CDを聴いたりすることは家ですることです。

そもそも声優は裏方の仕事であって、最初からこうして人前に出るような職業ではありませんでした。

イベントには行かず、そうして家でのみ推しを消費することも1つの応援手段なのだと思います。




なので、「茶の間」はとかく悪い意味で使われがちですが、わたしは一概に悪い存在であるとは言えないと考えています。



大体のオタクは「好き」という気持ちから推しを応援するようになります。

でも、同じ「好き」という言葉でまとめられた気持ちの中身まで同じなわけではありません。だから応援の方法も1つでは絶対ないし、正解もないのだと思います。









と述べましたが、これは建前です。

オタク的感情を抜きにして客観的に考えたわたしの意見と、オタクとしてのわたし個人の意見は違うからです。




はっきり言ってわたしは一部の茶の間が理解できません。

それは、お金を払わない人です。




もちろん前述のように人によって様々な事情があることはわかりますし、無理してお金を払えとか現場に来いとか言っているわけじゃありません。それは結局その人のオタク生命を縮めることにしかならないです。





じゃあ何が理解できないかって言うと、「お金を払わないのに声が大きい」ことです。

茶の間が理解できないって言うと、前述のような、家でファン対象を消費する人までも巻き込んで一概に否定してしまうような印象を受ける人も多くいるのですが、そうではありません。

なぜなら、先ほど説明した「茶の間」の一般的解釈と、オタクの言う「茶の間」の意味は違うからです。

 



つまり、オタクの言う「茶の間」は「現場に来ない人」ではなく、「現場に来ないのに声だけ大きい人」ということです。






なぜだと思いますか?

 

  





簡単に言えば、「好き」の言葉だけでお金は手に入らないからです。




例えば、皆さんは画家で、絵を描いてそれを売り、生計を立てているとします。

街中で絵を展示していたところ、たくさんの人が立ち止まって口々に褒めてくれました。

嬉しいことですし、次の絵を描く活力にもなりますよね。

が、誰1人その絵を買うことはなく、その日の収入は0円でした。

それが1ヶ月続いたとしたら、やっぱり収入は0円で、生計を立てるどころの話ではなくなりますよね。パン1つも買えず、困窮してしまいます。




そういうことです。

「好き」の力は偉大ですが、それでご飯が食べられるほど人気業は楽な仕事ではありません。

俳優や声優、アイドルはファンに黄色い声をあげられ、好きだと言われ、ステージでライトと注目を浴び、楽しいことをやっているようですが、それは生きるための、お金を稼ぐための手段でもあります。



画家における絵と同じように、彼らの立つステージ、出演した作品、全てに価値が存在します。それが、そして彼ら自身が売り物だからです。




それに、ただ突っ立っているだけで仕事がやってくるわけではありません。

会社が彼らをキャスティングする理由は、平たく言うとコンテンツの売上のためです。

基本的に、彼らの技量や人気にそれだけの価値があると判断されてキャスティングに繋がるわけです。



なぜ声優は星の数ほどいるのに、アニメには人気声優ばかりがたくさん出演するのだと思いますか?



それは彼らに人気があるからです。

彼らが出演するから見るとか、グッズを買うとか、そういう経済効果が見込めるからです。

声優はギャラが貰え、企業には円盤やCD、コンサートやグッズなどの売り上げ収入が入ります。WIN-WINの関係ということです。


そして、わたしはファンとファン対象の間にもWIN-WINの関係性があると思います。

ファンは推しに会いに行ったり、声を聴いたりすることで娯楽として推しを消費し、ファン対象はそれによって人気、ひいてはお金を得流ことができるからです。

 



人気業は商売です。




だから、わたしは基本的に、推しを消費するときに金銭の収受が発生するべきだと思っていますし、お金を払うことを惜しむのに「好き」と騒ぐ人のことは理解できません。



お金を払うことを惜しむって「推しにそれほどの価値がない」って言っているのと同じことだと思います。

何度も言いますが人には人のスタンスがあるので、自分の考えを押し付けようってわけではありません。が、売上が出ない商品をいつまでも棚に並べて置かないように、売れない声優はいつまでもマイクの前には立ち続けられません。




シビアな世界だからです。

そんな中で、1日でも長く推しの姿を見たい、活躍が見たいというほど好きなのであれば、どんな形であれ本人に関わるものを正規で購入することが大事になって来るのだと思います。




もちろん買うことは義務ではありません。

結局ファン活動は娯楽なので、行かなきゃ買わなきゃ精神でやる必要は全くないと思います。

でも、お金を払えばそれ相応の幸せは手に入ります。むしろそちらがメインの感情であって、それが巡り巡って推しのためになる可能性は高いよ、くらいのことだと思います。




「基本無料」の名の下に色々な娯楽を消費できる世の中、お金を払わなくても満足してしまう人が増えたのかもしれませんが、お金をかけた先にまた違った世界が広がっているのも確かなことなのではないでしょうか。





応援って、そういうことなのだと思います。






本当に何回も言うようですがこれには絶対に色々な意見があります。

わたしが現場主義でいられるのは行ける現場があるからで、多少のお金や時間があるからですし、そういう人間のあくまで主観的な思考なので他のオタクに押し付けようとしたいわけではありません。

推しの消費の仕方は人それぞれです。



だから、ただそう思ってるよ、それだけです。



ちなみにわたしはそんなこと言いながら6月の現場を少し干します。ウケる。

まあ選択権はオタクにありますし、楽しいなって思える範囲内でオタクができたらいいなって思ってます。



それだけです。

じゃあさよなら。