MANKAI STAGE『A3!』~SPRING2019~

 

 

 

 

 

春単独が終わってから2週間くらいが経ちました。

 

 

 

いや、終わったことを信じてないんですけど、信じたくなくて打ち上げ配信も見られなかったんですけど、何回見ても興行は6/2までだし、エーステのサイトに行けばSPRING2019は過去の公演に振り分けられてるし、いま銀河劇場に行っても上演されているのは『「錆色のアーマ」-繋ぐ-』だし、きっと春単独は終わってしまったんでしょう。

 

 

 

終わってみれば、本当に短い2ヶ月でした。

この興行が決まった時、いえ、むしろこの公演が始まったときですら、自分がここまで春単独に心を奪われるとは思っていませんでした。

しかし、気づいたら手元のチケットは増え、遠征のために新幹線に乗り、ランダムブロマイドのために物販をループしていました。幸せとは何かと聞かれたら、この2ヶ月であるとはっきり言えると思います。

 

 

 

 

いや、なんかエモめの文章を書こうと思ったんですが、春単独最高の気持ちがやってきてしまった。むずかしい。

 

皆様は春単独、ご覧になりましたか?

春単独のすばらしさ、人に話そうとしてもなかなかうまく話せないんですよね。

なんというか、見てほしい。

「あのシーンがいい」とか「このセリフがいい」とか、いろいろあるんですけど、春単独の良さってそれだけじゃないんですよ。

なんというか、あの空気感、劇場を満たすすべてが春単独であって、春組なのだと思います。

 

 

 

まあこれはネタバレになるんですが、春単独公演のテーマは「個性」だったのだと思います。

 

「春組らしさってなんだと思う?」「春組らしさがなんなのか、わからなくって」「もっといつもみたいに」「大人、ねえ」「自分のやり方で真澄と向き合ってみる」「気負ってたのかもな」

 

これらは全て、春単独公演の中で出てくるセリフです。

囲み取材のとき、佐久間咲也を演じる横田龍儀さんは『キーワードは「春組らしさ」』と仰っていました。

たしかに劇中では「春組らしさ」というワードが多く出てきます。

 

「〇〇らしさ」ってなんだと思いますか?

 

これ、本当に難しい問いだと思います。

たとえばこれに「咲也らしさ」と名詞をあてはめてみると、「真っ直ぐ」とか「明るい」とか、そういう言葉が出てくるのだと思いますが、その部分にご自分の名前を入れてみると、「自分らしさ」がなんなのか、いまいちわからなくなる方も多いのではないでしょうか。

「自分らしくない」という状態は違和感としてわかるけど、じゃあどういった状態が「らしい」のか?と言えば、わからない。

 

「らしさ」って、他人の評価の集まりなんじゃないか、と思います。

それ自体はその人の性質のことだし、特徴のことではあるんですけど、それらは他との比較で生まれるものであり、結局は他者の評価なのではないでしょうか。

 

劇中、「春組らしさ」についての明確な回答はありません。

それについて、春単独を見てわたしが勝手に導き出した答えは、「それぞれが、それぞれらしくあること」です。

 

ぶつからないように上手くやろうとか、気を使おうとか、合わせようとか、そういうことも集団には大事だと思いますが、自分を曲げ続けてできた集団に属するのが果たして自分なのか?という問いには疑問が残るところであると思います。

 

そういった点で春組と対極にあるのが冬組なのだと考えていますが、冬組が「おとな」であるなら、春組は「こども」と言えますよね。

しかし、その「こども」というのは「真っ直ぐさ」とも言い換えられると思います。

春組のメンバーって、みんながみんななにかに真っ直ぐなんですよね。

咲也はお芝居、真澄は監督、綴は脚本、至はゲーム、シトロンはなんでしょう、ワクワク、ですかね。

みんなばらばらの方向を向いている、でもそれが集団だし、本当に自然なことなのだと思います。

5人にとって譲れないものがそれぞれのアイデンティティになり、「らしさ」にもなるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

いや真面目に語ってしまった。ちゃうねん、春単独が最高という話をしたいんですよ。

 

顔のいい男祭りだと思っていた春単独、気づけばチケットが増え、千秋楽も劇場にいて、アンコールのSpring has come!でついに堪えきれなくなり大泣き、もはや顔のいい男祭りでは片付けられない舞台がそこにあった。

シトロンに泣きすぎてバルコニーから落ちるな、などと言われましたが、春単独を最後の記憶にするために飛び降りることも吝かではありませんでした。まあわたしのいた2階席からでは飛び降りても精々怪我をする程度でしょうけど。

 

春単独、本当にいい。いいシーンが多すぎる。全てがハイライト。わかる?2時間半くらいずっとハイライトを見せられる春単独、本当にヤバい公演です。

あと、顔がいい男がわんさかさ(ガンバレツヅルすな)!

どこを見ても顔がいいし、カード絵と並べても遜色がない。顔のいい男が喋って動き、いえ、息を、まばたきをするだけで世界が輝くんですよ。

 

 

 

宗教上の理由で立石俊樹の顔面とは(勝手に)決別したはずだったのですが、一番最初の客降りで近くに至が来た時、あまりの顔面の良さに和解しました。数々の「イケメン若手俳優」を見てきたつもりでいましたが、稀代の顔の良さです。というか、茅ヶ崎至をやるために生まれてきたような顔。

茅ヶ崎至のために立石俊樹がいて、その逆も然り。いやそういうこと言うと怒られちゃうな。でも本当に天職というか、これ以上ないはまり役だと思います。あと万里も。あ、あと紬も……咲也も……

 

 

 

本当に春単独が終わってしまったということが辛くて仕方がありません。

大千秋楽、『さよならって言葉さえポジティブに感じるよ』というフレーズを歌う春組に「ポジティブなわけねーだろ!」などと心の中でキレながら泣いていましたが、本当に春単独との別れ、なんにもポジティブじゃない。春単のことが大好きでしたし、春組を心から愛していました。

 

 

 

色々な舞台に通っていたので、ある程度大千秋楽というものも経験したことがあるのですが、やっぱりいつでも「明日からは観られない」という実感がわかないままエンディングを迎えるんですよね。

そうして1週間、2週間が経ち、鮮明に思い出せていたセリフやシーンに霞がかかっていくことでようやく終わったんだと実感できるのだと思います。

いや、まだ春単独をやれと言われたら袖から出てきて監督に気づく咲也のシーンからできますし、セリフも言えるんですけど、そのうちわからなくなってしまうし、日替わりなんてもっと記憶の奥底に埋め込まれてしまうんだと思います。

 

ほんとうに、春単独が過去になるのが嫌すぎる。一生過去にしたくないです。「物語はバトンを繋ぐ」ので、春組も終わってしかるべきなのですが、そんな綺麗事言ってられない。一生春がいいです。地球の公転止まれ~!!!!!365日春にしろ~!!!!!

 

 

 

だって、いつだって最高をリアルタイムで、生で浴びたいじゃないですか。瞬間の輝きを100パーセントで受け取れるのはその瞬間でしかないし、その場所でしかないんですよ。

DVDでもライブビューイングでもわからない、「生」を伴った輝き、それこそが舞台だと思いますし、春組は、春単独は、そういう意味で眩しく輝いていたのだと思います。

 

あ、これからDVDを買えという流れに持っていこうとしたのに映像sageしちゃったよ。

いやでも待ってください。映像の素晴らしいところは、最高の顔面を大画面で見られるところ、そして、何度でも繰り返し見られるというところです。

見たらわかりますけど、まず目が2つじゃ足りません。1つの最高を見ている間に、別のところでも最高が起こってるんですよ。わかりますか?同時多発最高テロ。最高は連鎖する。

それをこころゆくまで巻き戻して見られる、それは舞台観劇にはない醍醐味です。

 

 

 

世の人間は2つに分けられるといいますが、これに沿って発言をするなら、世の人間は「春単独を観た人間」と「これから春単独を観る人間」のどちらかです。

後者の方に、素敵な春単ライフが訪れますように。

 

 

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