推し変をしましたという報告
数ヶ月前に、推し変をしました。
というか、本当はついこの間から、といったほうが正しいかもしれません。
ずっと迷っていたんですけど、1ヶ月間いくつかのイベントに行きながら考えてみて、わたしはたぶん気の迷いとか、代替案とかでこの人が好きなんじゃなくて、元推しと比べるとかでもなくて、単純にその人を応援したいんだろうな、と思ったからです。名古屋-東京の夜行バスの中で。
元推しのこと、本当に大好きだったし、嫌いになったわけではもちろんないんですけど、なぜかあの世界一きれいな顔も、愛らしい声も、わたしが好きだった全てが一瞬で光を失ったように、突然魅力的でなくなってしまったんですよね。昨日一昨日でやっていたコンサートには結局行かなくて、新アルバムも買いませんでした。
人間関係において嫌われることより興味を持たれないほうが怖いというのはよく聞きますが、興味を持たない相手って本当に何にも思わないんだなって改めて実感しました。わたしとアイドルの間に人間関係もなにもないんですけど、興味がなくなるっていう心の変化の急激さが恐ろしいなと思います。
好きの順位って一瞬で変わってしまうんですよね。わたしだけなのかもしれませんが、本当に一瞬で熱が引きます。好きじゃないかも?っていうのがなくて、ある日突然興味がなくなるんですよね。
あれだけ好きだったいろいろがどうでもよくなって、かわいいの一言も全然出てこなくて、音楽を聴いても何にも思わないんですよ。好きだったのに、思い出だっていくつもあるのに、今はその全てを捨ててでも推しについていきたいって思ってしまうんです。こわい。
ずっと中性的な美人が好きで、好みがわかりやすいと言われ続けて20年、海の向こうのアイドルにまで手を出した後でたどり着いた推しは、美人でもなんでもなくて、中性的でもなくて、細くも白くもなくて、わたしの好みとは全く逆の人でした。
男らしくて、かっこよくて、色が黒くて体格もしっかりしていて、誰にでも優しくて明るくて、今までわたしが好きだった人が月なら、今の推しは本当に太陽みたいな人なんです。これ前も言ったな。
本当に不思議です。なんでわたしはその人が好きになったのか未だにわからないんですよね。
顔が好きで、相手を思いやれる優しさと、それの滲み出たような表情の1つ1つが好きで、どこまでも真っ直ぐな歌が好きで、バカのイメージがあっても言葉の端々にしっかり29歳が出ているところが好きなんですけど、なんで好きになったのかは本当にわからないんです。冷めるのが一瞬なら、惹かれるのも一瞬なんですよね。
瀬戸内寂聴さんが「恋愛の雷」という言葉を使っていらっしゃったことがありましたが、恋愛ごとでないにしろ、雷に打たれるみたいなものです。それが光ったことすらわからないまま閃光に包まれて、気づけば自分はすでに雷に打たれた後なんですよ。好きになるって抗えないことだと思います。
いやこれ喪女オタクが何言ってんだ大賞だな
でも好きって本当にわからないですね。わたしが推し変したのって、果たして本当に元推しに興味がなくなったのか、それとも好きだけど順番が変わってしまって、2位以降はわたしの中ではどうでもいい存在であるというそれだけなのか。
推しのあの覗き込むような瞳と視線が合うたびに、元推しへの好きの気持ちが記憶の中から消えていくような気がします。
また恋愛の話になるのですが、男は名前をつけて保存、女は上書き保存というのもあながち間違いではないんでしょうか。人間を男女という2つのくくりだけで考えるのはいささか浅慮なことだとは思いますが、興味深くはありますよね。わたしは、人間のことはちゃんと名前をつけて保存できるんですけど、好きが上書き保存の人間だと思います。
たぶん誰かが好きって気持ちがほんとうは1つしかなくて、1人にしかあげられないんだと思います。並行して誰かを好きになることって本当にないんですよね。誰かを好きになったら誰かを好きじゃなくなるんですよ。
それって金銭、時間的な問題なんでしょうかね。富豪になったらみんな好きになれたりするんでしょうか?わからない。富豪にならないとわからないことなので、とにかく無限の富が欲しいですね。実験台になるので、誰か手始めに毎月500万円ずつくらいわたしの口座に振り込んでおいてください。
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そんな(どんな?)推し、一昨日くらいから現場が決まりすぎな気がする。
いや実際新人なので、お仕事があることってとてもいいことだと思います。既存のお仕事もそうだけど、新境地のお仕事もあって本当におめでたいことです。
オタクって推しの身長体重を知ってても、出身地や血液型を知ってても、好きなものと嫌いなものを知ってても、結局推しのことは本当のところなんにも知り得ないと思うんです。でも、推しの素敵なところは本当にたくさん知ってると思いますし、それをもっと色々な人に知って欲しいんですよね。わたしは。
それこそ今回のあるお仕事がものすごく新境地なんですけど、少し前のお仕事が嘘みたいに期待できる出来で、さらに可能性が広がったと思っています。
推しのこと周りに知られたくないって人もまあいると思いますけど、単純に人気度が上がれば自由度が多少上がって、本人がやりたいことをやるハードルが下がると思うんですよ。推しの夢はわかりませんが、こういう不安定な業界にいるからこそ夢があるならそれを叶えてほしいと思いますし、そのために色々したいって気持ちはあります。
いや相手30近くて自分21なのであまりに烏滸がましい物言いなんですけどね。
同じアラサーでも前の推しと違ってしっかりしてるんですけど、前の推しと同じような気持ちでオタクしてしまう。よくない。
今の推しはわりとお金もあるし、自己管理もしっかりしてるし、成長するタイプの人です。えらい。
どちらにせよ、オタクと推しは単純な金銭関係にありますけど、その中でわたしは推しが見たい、推しは稼いだり、たくさんの仕事をして夢を叶えたい、そういうWIN-WINがあればいいなって期待はしています。
オタクの妄言ですけどね。好きな人には幸せになってほしい、単純な気持ちです。
いや〜推し、幸せになってほしいな!いつでも幸せでいてほしい!形あるものもないものも、たくさんのものをくれるのでちゃんとお返しがしたいです。何が欲しいって言ってくれればいいんですけど、それもなんか違う気がするんですよね。プレゼントはあげたいんですけど、それって結局自己満足じゃないですか。
単純にファンとして現場に行って、お金を払って、応援していますと言い続けることが正しいお返しなのかなとも思います。わからない。それって本当に正しいあり方なのかはわかりませんが、茶の間よりはマシくらいの気持ちで生きていったほうがいいのかもしれない。
正しいオタクってなんなんでしょうね。21年生きてきたのにオタクがちっとも上手にならないです。
正解はないんですけど、それでもやっぱり正しいオタクでいたいんですよ。推しにとってわたしたちはファンっていうくくりで、個人的な好き嫌いは存在しうるけれども結局こちらに干渉してくるレベルのものではないとは思うんですけど、やっぱり嫌われるのは怖いです。
まともなら嫌われないんでしょうけど、あんまり自分がまともな自信がないのでどうにかまともになりたい。
これ毎年言ってない?
今回の現場は何ヶ月続くかわかりませんが、今度こそ長く続けばいいなあと思います。
現場通い始めって付き合いたてのカップルと一緒でなんでも好きなので今はすごく推しのこと好きですけど、半年後とかどうなってるんでしょうか。
1年前のわたしは今の推しのこと知ってすらいませんでしたし、もう1年前は元推しのことも知りませんでしたからね。激動のオタク。
明らかに熱し易く冷め易い飽き性ですが、そろそろ腰を据えて誰かを応援したいです。できたらいいな。
おわり
平等であることと、公平であること
社会に平等って存在すると思いますか?
わたしは存在しないと思います。近年声高に叫ばれている男女平等とか、貧富の格差是正とか、そういう問題だけではなくて、もっと小さな社会、日常的な「平等」において、同じことが言えると思います。
それは、人間が元来不平等なものだからです。背が高い人もいれば低い人もいるし、要領がいい人もいれば悪い人もいる、というように、人間には「個」があります。生まれつきのものがあって、様々な環境で学習したことがあって、それぞれの個性が生まれます。もちろんものの捉え方も千差万別ですし、それに対する行動だってそうです。
「平等」が差別がなく、みな等しいことを意味するのなら、既に人間はそれに当てはまりません。
それでは、その「不平等」は不幸なことなのかと問われたら、一概にどうとは言えないことだと思います。人間には「個」があると述べましたが、幸福感もその1つだと思います。誰かにとって死ぬほど不幸なことが、他の誰かにとってはとても幸せなことだったり、その逆だったりするからです。
「平等」と似た言葉に「公平」があります。すべてのものを同じように扱う、という意味です。つまり、元来不平等な人間を、その不平等性には触れず、あくまで同じ基準で評価するということです。「平等」がみなに100点をあげることなら、「公平」は同じ採点基準に則ってそれぞれを評価することです。
そんなこと説明されなくてもわかるとは思いますが、案外それを混同してる人が多い気がします。
突然真面目な話をしたのですが、この話をしようと思ったのはあるオタクのツイートを見たからです。またオタクかよ。
簡単に説明すると、そのツイートは『ツイート主であるオタクAが応援していたある声優Aが、「ファンにはみな平等」と言ったのにも関わらず、別のオタクBに対して全く平等ではない(オタクAに対してのものとは違う)対応を取っていたので失望した』というものでした。
その声優について詳しくないのでその人がオタクに平等を誓ったのかどうかはわからないのですが、これこそ前述の内容に当てはまることなのではないでしょうか?
わたしは芸能人とオタクの間にあるべきなのは公平性であって、平等性ではないと思います。前回認知についてのエントリーにも同じようなことを書いたと思うのですが、彼らは全てのオタクに同じ反応を返すわけではありません。それは現場に来た回数とか、かけたお金とか、そういう応援の大きさに大体比例するものです。
考えてみて欲しいんですけど、家で違法動画を見て現場には行かず好きだと言っている人と、現場全通して手紙やプレゼントを出してお花も出して、とやっているオタクに対しての反応が全く同じだったら正直意味がわからなくないですか?彼らが生き残るには人気が必要で、それは動員や金額等の数字に現れるものなのに、数字に全く貢献していない人と多大な貢献をしている人が同じだけのありがとうをもらえるかといったら、そうではないと思います。そうあるべきでないというのが正しいかもしれません。毎回書いてますが、大前提としてオタクは感謝されるためにするものではないです。
じゃあ在宅オタクに人権がなくて、まったく感謝がないのかといったらそういうわけでもないと思います。オタクとしては正直人権はないよって言いたいんですけど、在宅もにわかも彼らのファンの一部で、彼らの土台の一部になりうるのだと思います。随分前ににわかの話をした時に書きましたが、「好き」という声をあげること自体に意味があるからです。だからといって金を落とさなくていいとか違法視聴だけで見た気になっていいとか言ってるんじゃねえぞ。
でも、それぞれの事情があって、それぞれの応援のスタンスがあることは確かですし、やはり毎回来てくれる人にはそれ相応の感謝はあるのだと思います。それが公平性です。数字とか、それに伴う印象って公平な判断基準になりうると思うんですよね。例えそいつが面食いで可愛い子に対してとても愛想が良くても、それはそれで顔が判断基準になっているだけであって、しょうがないことなんだと思います。諦めも大事。それが気にくわないなら自分が整形するか、その人を降りるかしかありません。
だから、該当ツイートをされた方がどういう応援スタンスなのかはわかりませんが、そのオタクと対応の差をつけられるということはそれなりに本人の中で差があるということで、それは単純な好き嫌いとかではなく、先に述べた数字から発生する印象の話だと思います。もし該当ツイートのオタクAがBとまったく同じだけの応援をしているようなら本人に問題がありますが、そうでないなら本人に問題はないと思います。
機械的な対応を求めるならまた別ですが、もし本当に「平等」な対応を求めるならそれなりの覚悟が必要だと思います。
Aの望む対応はBに対しての対応と同じものだと思いますが、もし本人が本当に「平等」な対応をするとなったら、Bにはもちろん、Aにも同じような対応はしないと思います。もっとあっさりした、6割くらいの無難な対応です。何を言っても「ありがとう」しか返ってこないけど、他の人にもそう。10割の対応をすべての人に与え続けたら普通に疲れますし、そもそも人間には距離感というものが存在するからです。いくらオタクとはいえ何度も顔を合わせている人と初めて会う人なら多少距離が違うのはおかしくないことだと思います。顔見知りと知らない人ってだけですが。
もし6割の反応でいいなら「平等」を望んでもいいと思いますが、もし10割の対応を求めるのなら、自分が数字的な意味で努力をするべきだと思います。
たかがオタクでそんなことをしたくないと思うならそれまでですし、どうしても対応が欲しいなら頑張ればいい話です。もし「応援してあげている」っていうスタンスなら早めに捨てたほうがいいのではないでしょうか?
まあそもそも向こうもロボットではないので全員に同じ対応をするのは不可能だと思います。平等を望むなら推しを変えよう。それが嫌ならそこは我慢するしかないです。
せっかく楽しいオタクなのに、そういう人を見るとしんどそうだなって思ってしまいます。何様だよってことばっかり言ってますが、そうしてマイナスな感情を抱くことが多くなったら、一度オタクから離れてみるのもひとつの方法だと思います。
楽しくオタクしような。
認知されたいオタクと義務感の話
オタク用語で、自分の応援している人に自分のことを知ってもらえている=名前と顔が一致している、ということを認知と言うのですが、大体のオタクは認知を欲しがります。
もちろん認知が欲しくなくて、永遠に大勢の中の1人でいたがる人も多少はいるのですが、やっぱりだいたいのオタクはどちらかと言えば認知を欲したことのある側になるのだと思います。
認知が欲しいっていう動機はいろいろあると思います。本人が好きだから、という大元は一緒なのですが「好きな人に自分のことを知って欲しい」という動機もあれば、「周りのオタクが認知されてて羨ましいから」という動機もあると思いますし、なんなら「繋がりたい」っていう動機もないわけではないと思います。オタクから繋がろうとするのは愚策だと思いますが
わたしも前現場で認知をもらった時は少なからず喜んだ記憶があります。そもそもそんな少数現場にいたことがなくて、応援している人に自分のことを認知して貰えるという認識すらなかったことが一因だとは思うのですが、確かに認知されれば向こうの態度は多少変わります。
知らない人って、向こうからは自分のオタクかどうかはわからないじゃないですか。ソロイベならまだしも普通の舞台や大人数でのイベントだったら、客席にいる知らない人一人一人を誰のオタクだって判別することは不可能に近いです。だから、向こうも下手な反応は取れないんですね。「次の舞台見にいきます」「ありがとう」、「かっこいいです」「ありがとう」、「プレゼント入れておきました」「ありがとう」、それだけなんですよ。じゃあ認知されてる人がそれだけじゃないかっていうと、人によりけりだとは思います。某俳優のように誰にでも平等な人は、新規も古参にも全く同じ反応を返すからです。でもまあ相手も人間ですから、そう平等にもいられないんですよ。それに、少数現場になればなるほど認知に対するある程度の「釣り」というのは重要になってきます。
俳優の対応の良さが全て釣りだとは言いません。むしろ、本人の優しさとか、感謝の気持ちがそういう行動に現れているという方が圧倒的に多いです。
どれだけ厄介な子でも、自分が認知するほど長くとか、たくさん応援してくれている人に対してはやっぱり感謝が先にくるからだそうです。そういう気持ちがあって、オタクに対して「いつもありがとう」と言ったり、客席でオタクを見つけた時に反応したりするわけです。
オタクはそれを欲しがりますが、そういった感謝の気持ちが欲しいというよりは、単純にその行動を一瞬でも自分に向けて欲しくて、一瞬でもその心にいたいのだと思います。好きな人に自分のことを考えて欲しい、単純なことですよね。
ただ、実際わたしがそうやって前現場で認知をもらって思ったのは、どうして認知が欲しいのだろうか?ということでした。こんなに認知が欲しい動機に対して肯定的に述べておいてなんなのですが、そういう理解をした上で、認知が欲しい理由がわからないのです。
認知ってそんなにいいものですか?
一度何かを手にした人には手にしたことのない人の気持ちはわからないってそういうことかもしれませんが、そもそもオタクをする上で、相手(応援している人)に深入りすることがいいことだと本当に思えないんです。好きな人のことは知りたい、そういう気持ちもわかりますが、それがオタクに適用されない気がしてなりません。
深入りするって、知りたかったことを知ることですが、知りたくなかったことをそれ以上にたくさん知ることです。相手が踏み込ませまいとしているのには理由があります。綺麗な面を見せるのが芸能人であって、その裏を見せるのは舞台裏を見せるのと同様だからです。
知っていることが必ずいいことではないし、逆を返せば無知が常に罪になるわけでもありません。むしろオタクってある程度無知で、お花畑でいる方がやりやすいと思います。オタクは趣味で、単なる趣味にそこまで精神を削る必要はないからです。
認知の話とは少しズレましたが、わたしは多分、オタクにおいて認知を望んでいる人の、最終目的がわからないのだと思います。認知されて何がしたいとかではなくて、単純にその称号が欲しいということなのかもしれませんが、他のオタクとは違う、特別扱いをしてほしいということだったら正直難しいと思います。
そもそもオタクはオタクで、ほとんどの場合それ以上にはなり得ないからです。彼らがオタクのことを認知した時、わたしたちに「○○さん」というレッテルを貼り付けますが、それはあくまで「自分のオタク」というグループの中の存在です。「自分のオタク」の中の「○○さん」なんですよ。この認識って大事なことだと思います。どう頑張っても「○○さん」と「俺/私」という構図にはなりません。1:1の会話は永遠にできないということです。逆を言えばむこうも「芸能人の××」として話しているわけで、「俺/私」のようでいてそうではないわけですね。
それでは「芸能人の××」と「自分のオタクの○○さん」でいるとして、その2人の間の関係性には低いところに限界があります。「特別扱い」と呼べるかといったら微妙なところです。基本的に「いつもありがとう」、それ以外にはありません。
それが、その程度の感情だと言いたいわけではないです。向こうの人たちって、思ってるよりオタクを大切に想ってくれている人が多いからです。特別なことですし、有難いことであって、決して当然だとあぐらをかくものでもありません。ただそれは、感謝の気持ちによって、なのです。それ以上でもそれ以下でもありません。
感謝の気持ちに特別扱いを望むってなかなか勇気が要りませんか?行為そのものに大きい価値があると思う方もいらっしゃるとは思いますが、その行為は自分の行動に対する向こうのリアクションであって、突き詰めて考えれば自分から望むものではないのだと思います。100%認知厨の方にそういうつもりはないって怒られることはわかっていますが、感謝を強要しているように思えてしまうんですよ。そういうことではない。わかる。そういうつもりではないし、実際そうではないとは思うのですが、そういう風に思ってしまうというだけです。
それでも認知が欲しければほどほどに通って、ほどほどに接触をして、ほどほどに手紙を出して、たまにプレゼントをして、ほどほどにオタクをしていればそのうち貰えるものだと思います。
確かに、飛び抜けた美人、飛び抜けたブス、行動が奇怪とかではなければ、すぐに覚えてもらうことは難しいです。オタクって大体一緒に見えるんですよね。特に俳優オタクはそうです。たくさんオタクを見ている人は尚更。
若い子でよく、握手会とか接触で「○○って言います!」「あだ名つけてください!」と何度も言っているのを見かけますが、名前を名乗ることが認知につながるかといったらそう言うわけでもないと思います。その人がそうしたように、1日何回もいろんな人に名前を名乗られているからです。その日のうちに20ループでもすれば覚えてくれるかもしれませんが、勉強で言えば詰め込み学習みたいなもので、その日が終われば一瞬で流れ落ちていってしまう記憶だと思います。
だからといって、認知が欲しいからと頑張りすぎる必要はないと思います。それは向こうがどうというわけではなくて、自分が疲れてしまうからです。認知されるためには次の現場も行かなきゃ、手紙書かなきゃ、プレゼント出さなきゃ、そういう義務感的なものに取り憑かれてしまう可能性があります。趣味ってそもそも「〜しなきゃ」と考えるものではありません。
まず、たぶんそういう厄介な感じのオタクをしていると、場合によっては周りのオタクに先に認知をされ、さらに場合によっては向こうに悪い意味で認知される可能性もあります。オタクは俳優を映す鏡とまでは言いませんが、その人の評判に関わってくるのは確かです。裏で「あの子○○さんのオタクでしょ?態度悪いよね」とか言われたら最悪じゃないですか?そういうこと、本当にあります。オタクは節度を持とう。
オタクにとって一番大事なのは、自分に余裕を持つことだと思います。金銭面でも、精神面でも、時間的な意味でも。その上で認知されたらラッキーくらいの精神で生きていくのが、何より自分にとってとても楽だと思います。
偉そうに書きましたがわたしは誰の気持ちもきちんと理解できていません。他の方のはてなブログで認知について書いてあったこととわたしの考えは全然違いましたし、言葉にすることで自分がせめて自分の考えだけでもわかったつもりになりたいだけです。
とにかく、楽しくオタクをしようというだけです。推しは確かに大事ですが、自分はもっと大事ですからね。過ぎたるは及ばざるが如しと言いますし、何事も節度が大事なのだと思います。自戒。
85日目
前のブログを書いてから85日が経っているそうです。文を書きたい波がなければ書かないのでこのくらいのスパンになりますね。
さて、2017年も終わろうとしていますが、纏めると今年もオタク一色でした。去年も、その前もずっとオタクでしたが、年々引き返せなくなっている気がするのは気のせいでしょうか?気のせいだといいんですけど。
仲良くしてくれるオタク3人組で集まると常に「オタクやめたい」「いつまでオタクしてるんだろう」という会話に発展するのですが、出会って3年、誰もオタクをやめられていません。引き返せなくなっていっているのではなくて、すでに引き返せないのかもしれませんね。
それでも今年の大体は韓国のアイドルにハマっていたので今までのオタクとはちょっと毛色が違ったような気がします。小現場の俳優から外国のアイドルにシフトすると、見たり、会えたりする回数の少なさ、経費、言語や思考的な壁の差を本当に強く感じました。
不思議ですよね。何を話してるかも何を歌っているかもほとんどわからない人をこんなに応援できるって、なかなかあることじゃないと思います。きっとこれも、ステージの持つ力なんでしょうね。
アイドルは国が違うこと、言語が違うことはほんの小さな問題だと言うことが多いのですが、そういうわけでもないとは思います。(外国のオタクへのリップサービスなので実際彼らがそう思ってるのかは置いといて)
ただ、それを感じさせない力が、アイドルには、ステージにはあるんだと思います。(アイドルを神格化しがちオタクなので隙あらばアイドルという存在をあげていく)
とはいえ今そこまで韓国を追ってるわけじゃないです。もっと拗らせた、オタクの最終地点みたいなところに立とうとしています。どうしよう。本当にわたしは人生でキモオタを極めることしかできないんですかね。
なんのオタクかというと、声優です。実は今までのオタク人生の中で声優にお金をかけたことってほとんどないんですよ。好きでいたことはあったんですけど、一時的なものでした。だからわたしは声優にはハマらないんだろうなと薄々思っていました。
ただ、今日の若手声優ってアイドルみたいなことをやる人が結構いるんですね。
それは、彼らとしてであって、彼らとしてでではない、役柄としてのパフォーマンスなのですが、昔の声優とは違って顔やダンスで売って行こうとするタイプの声優さんが本当に多くいるような気がします。実際声優の志願者がとても多い今、昔はほとんど重視されなかった顔の造形がかなり重視されるようになったと思います。別にイケメンだけ、美女だけがデビューできて、売れるわけではないんですが、その足掛けとしてや、同じランクの人間の中から選別されるにあたって、顔面は1つの判断材料になったのだと思います。
それでも男の人はまだ、顔面の造形に関しては緩い方だと思います。女の声優さんはもっと厳しいからです。どこへいっても結局顔面って正義なんですよね。わかる。顔がいいって、いい。一方推しがどんなに美しくてもわたしはブスなのでもう救われません。生まれ直そう。
話が逸れましたが、こうして声優はアイドル売りをされることが非常に多くあります。そして、わたしはアイドルが好きです。次元を問わず。ステージという場所が、そこで輝く人が大好きです。そんな人間がアイドル声優と出会ったらどうなるでしょうか?
好きになります。簡単なことですね。数多のアイドル声優の中では自分の好きなタイプを見つけるのもとても簡単です。
正直いくらアイドル売りをしているとはいえ本業は声優さんであるという中で、顔面をはじめとしたアイドル的な要素を推すのはあまり良くないことだとは分かっています。古のオタクに長文FF外から失礼しますされる可能性があるのも分かります。ただ、わたしはアイドル売りの思惑に思いっきり引っかかってしまいました。
今応援しようとしてる人って、別に特別綺麗な顔をしているわけではありません。むしろ今まで応援した中で、最も一般に近い顔だと思います。しかも、これは重要なのですが、中性的という形容詞からは最も遠い人です。本当に、わたしも自分で驚くぐらい、自分が応援したがるタイプではありません。でも好きなんですよね。
とはいえ多分、いつもの一時期の血の迷いです。年始になればきっとこの人のことはどうでもよくなって、2月の韓国のアイドルのコンサートにいって、またアイドルの素晴らしさについて語り、美しい人間を妄信する生活に戻るんだと思います。
でも好きって抗えなくないですか?碌に人を好きになれない人間が、しかもオタクが、オタク的な意味の好きに愛を見出して語るのっておかしいことだとは思うんですけど、なんか本当に、好きだと思ったら止まらないんですよね。なーに言ってんだ。
ただ、今推したいなと思ってる人は、ガチ恋製造機と呼ばれてるんですね。
なんでかっていうと、他の声優より距離が近いからです。物理的にというよりは、心理的な意味で。本人が元々ミュージシャン志望で、大きなステージで歌を歌うことを夢見ていたことも原因の一つだとは思うのですが、人によっては馴れ馴れしい、礼儀がないと思われるようなレベルでオタクに対して気さくに呼びかけます。
他の声優が皆「ありがとうございます」というところをその人はいつも「ありがとう!」と言いますし、オタクに対してステージ上で語りかける時、敬語を使うことは他に比べてとても少ないです。「皆のおかげだよ」「本当にありがとう」と言える人って、当たり前なんですけどなかなかいないです。
全てが肯定される行動か?と聞かれたらyesとは言えませんが、この心構えというか、気持ちの持ち方、態度って稀有なもので、才能だとも思います。
なんというか、太陽みたいな人なんですよね。全員に対して均等に明るく、暖かいんですよ。元々とてもフレンドリーなタイプなのだとは思いますが、オタク系に関わる人にこういう澄んだ目をしたストレートなフレンドリーって少ないんじゃないでしょうか?オタクは大体陰キャですし(偏見)。
本人はサクラ大戦の誰それが好きとかいってたので普通にその気はあるとは思いますが、オタクっぽくはないです。強いていうならオールラウンドサークル略してオーランにいそうなタイプ。イメージは夏の太陽。向日葵っぽい人。オタク業界では本当に珍しい存在だと思います。
だからガチ恋製造機と呼ばれるんですよね。見た目も普通にかっこいいし、普段他の声優には適度に距離を取られてきた(もしくはやたらと距離を取られてきた)オタクがそういう人に距離を詰められると一瞬でコロッといってしまうことも少なくないのではないでしょうか?
でも少し触れてみて、声優オタクって本当に修羅だなと思いました。わたしがその畑から来ているから感覚が違うだけなのかもしれませんが、アイドルや若手俳優と違って全然会えません。会える機会があっても、抽選が厳しいどころか申し込むためにお金を払い、当選したらまたお金を払い、ということが本当に多いです。さらに、お金を払って申し込んでも当たらないことだって多くあります。
最たる例がCDDVD封入ライブ応募シリアルコードです。もはやオタクが興味は円盤の内容<ペラ一のシリアルコードです。こわ。応募してみないことにはわからないと思ったのでちょっぴりだけ応募してみましたが、普通に単番は外れました。
冷静に応募するためにCDを2人合わせて45枚買って結局外れる(友達談)とか怖いですよね。それは声優個人じゃなくてある大きな作品のライブ、さらに50人近くの声優が出るのに収容数のとても少ない幕張イベントホールだというからその厳しさもわからなくもないのですが、わたしからしてみるとお互い生きていて、会える機会があるのに会えないのはよくわからないんです。
しかも上記のようなことが一回きりじゃないんですよね。声優さんは様々な作品に出るからです。特にアイドルものにはこういう修羅が本当に多くついて回ります。
でもわたしは接触厨、イベント厨なのでできるだけ推しの姿を見たいんです。声優ってそういうもんじゃないって怒られそうですが、会いたいものは会いたいんですよ。それを乗り越えて応援し続ける声優オタクってすごいなと思います。どういうモチベなんですかね?声優オタクに聞いてみたいです。今書いてみて思ったのですが、そもそもこれって声優オタク向いてないんじゃないですかね…オタクやめたい。
話は長くなりましたが、自分が来年誰を応援しているのか、本当に気になります。もしガチ恋製造機さんを追いかけていたら面白いし心の準備が必要なので、年が終わるまでに未来の自分にこっそり教えて欲しいです。わたしって来年誰が好きなんですかね?
とりあえず来年も元気に生きていたいです。あと卒業したい。最終学歴高卒の人ばかり応援して来ましたが、わたしは大卒になりたいです。まずは生きるところから頑張ります。