平等であることと、公平であること













社会に平等って存在すると思いますか?







わたしは存在しないと思います。近年声高に叫ばれている男女平等とか、貧富の格差是正とか、そういう問題だけではなくて、もっと小さな社会、日常的な「平等」において、同じことが言えると思います。



それは、人間が元来不平等なものだからです。背が高い人もいれば低い人もいるし、要領がいい人もいれば悪い人もいる、というように、人間には「個」があります。生まれつきのものがあって、様々な環境で学習したことがあって、それぞれの個性が生まれます。もちろんものの捉え方も千差万別ですし、それに対する行動だってそうです。

「平等」が差別がなく、みな等しいことを意味するのなら、既に人間はそれに当てはまりません。






それでは、その「不平等」は不幸なことなのかと問われたら、一概にどうとは言えないことだと思います。人間には「個」があると述べましたが、幸福感もその1つだと思います。誰かにとって死ぬほど不幸なことが、他の誰かにとってはとても幸せなことだったり、その逆だったりするからです。


「平等」と似た言葉に「公平」があります。すべてのものを同じように扱う、という意味です。つまり、元来不平等な人間を、その不平等性には触れず、あくまで同じ基準で評価するということです。「平等」がみなに100点をあげることなら、「公平」は同じ採点基準に則ってそれぞれを評価することです。

そんなこと説明されなくてもわかるとは思いますが、案外それを混同してる人が多い気がします。











突然真面目な話をしたのですが、この話をしようと思ったのはあるオタクのツイートを見たからです。またオタクかよ。






簡単に説明すると、そのツイートは『ツイート主であるオタクAが応援していたある声優Aが、「ファンにはみな平等」と言ったのにも関わらず、別のオタクBに対して全く平等ではない(オタクAに対してのものとは違う)対応を取っていたので失望した』というものでした。


その声優について詳しくないのでその人がオタクに平等を誓ったのかどうかはわからないのですが、これこそ前述の内容に当てはまることなのではないでしょうか?







わたしは芸能人とオタクの間にあるべきなのは公平性であって、平等性ではないと思います。前回認知についてのエントリーにも同じようなことを書いたと思うのですが、彼らは全てのオタクに同じ反応を返すわけではありません。それは現場に来た回数とか、かけたお金とか、そういう応援の大きさに大体比例するものです。




考えてみて欲しいんですけど、家で違法動画を見て現場には行かず好きだと言っている人と、現場全通して手紙やプレゼントを出してお花も出して、とやっているオタクに対しての反応が全く同じだったら正直意味がわからなくないですか?彼らが生き残るには人気が必要で、それは動員や金額等の数字に現れるものなのに、数字に全く貢献していない人と多大な貢献をしている人が同じだけのありがとうをもらえるかといったら、そうではないと思います。そうあるべきでないというのが正しいかもしれません。毎回書いてますが、大前提としてオタクは感謝されるためにするものではないです。




じゃあ在宅オタクに人権がなくて、まったく感謝がないのかといったらそういうわけでもないと思います。オタクとしては正直人権はないよって言いたいんですけど、在宅もにわかも彼らのファンの一部で、彼らの土台の一部になりうるのだと思います。随分前ににわかの話をした時に書きましたが、「好き」という声をあげること自体に意味があるからです。だからといって金を落とさなくていいとか違法視聴だけで見た気になっていいとか言ってるんじゃねえぞ。






でも、それぞれの事情があって、それぞれの応援のスタンスがあることは確かですし、やはり毎回来てくれる人にはそれ相応の感謝はあるのだと思います。それが公平性です。数字とか、それに伴う印象って公平な判断基準になりうると思うんですよね。例えそいつが面食いで可愛い子に対してとても愛想が良くても、それはそれで顔が判断基準になっているだけであって、しょうがないことなんだと思います。諦めも大事。それが気にくわないなら自分が整形するか、その人を降りるかしかありません。





だから、該当ツイートをされた方がどういう応援スタンスなのかはわかりませんが、そのオタクと対応の差をつけられるということはそれなりに本人の中で差があるということで、それは単純な好き嫌いとかではなく、先に述べた数字から発生する印象の話だと思います。もし該当ツイートのオタクAがBとまったく同じだけの応援をしているようなら本人に問題がありますが、そうでないなら本人に問題はないと思います。






機械的な対応を求めるならまた別ですが、もし本当に「平等」な対応を求めるならそれなりの覚悟が必要だと思います。




Aの望む対応はBに対しての対応と同じものだと思いますが、もし本人が本当に「平等」な対応をするとなったら、Bにはもちろん、Aにも同じような対応はしないと思います。もっとあっさりした、6割くらいの無難な対応です。何を言っても「ありがとう」しか返ってこないけど、他の人にもそう。10割の対応をすべての人に与え続けたら普通に疲れますし、そもそも人間には距離感というものが存在するからです。いくらオタクとはいえ何度も顔を合わせている人と初めて会う人なら多少距離が違うのはおかしくないことだと思います。顔見知りと知らない人ってだけですが。





もし6割の反応でいいなら「平等」を望んでもいいと思いますが、もし10割の対応を求めるのなら、自分が数字的な意味で努力をするべきだと思います。

たかがオタクでそんなことをしたくないと思うならそれまでですし、どうしても対応が欲しいなら頑張ればいい話です。もし「応援してあげている」っていうスタンスなら早めに捨てたほうがいいのではないでしょうか?


まあそもそも向こうもロボットではないので全員に同じ対応をするのは不可能だと思います。平等を望むなら推しを変えよう。それが嫌ならそこは我慢するしかないです。





せっかく楽しいオタクなのに、そういう人を見るとしんどそうだなって思ってしまいます。何様だよってことばっかり言ってますが、そうしてマイナスな感情を抱くことが多くなったら、一度オタクから離れてみるのもひとつの方法だと思います。






楽しくオタクしような。